
インドで見たこと。考えたこと。
⑦
どんな旅にも、ここだけは見ておきたい場所がある。
タージマハルの世界遺産は、今回のインド旅行で最も楽しみにしていた。
デリーから200キロ離れたアグラにあり、日帰りでも行けるが、一泊する日程を組んだ。
アグラ市内に入り、河向こうにタージの建物が見えた時、長旅の疲れが吹き飛んだ。
タージに行く前に、アグラ城を観た。あまり期待していなかったが、意外と(失礼)と良かった。
タージの正門を通り抜けると、目の前に巨大な白亜の大理石の建造物が現れた。
写真ではよく見ていたので、会いたかった大スターに会えたような喜びがあった。
その圧倒的な存在感の前に、誰もが驚嘆し、誰もが同じ場所で同じ写真を撮り始め、私たちも並んだ。
磁力にひきつけられるように歩き始めた。亡き妃への愛を表現したというタージは
シンメトリーな景観が際立ち、まったくの異次元空間だった。
宮殿の裏手に回ると、どこまでも続くインドの大地が見渡せ、ヤムナー河が静かに流れていた。
何千年も変わらなかったであろう空気感そのものが心地いい。
夕暮れ時が迫っていた。月下に照らし出されるタージは現世のものとは思えないという。
このままずっと、ゆったりと流れる時間の中にすべてをゆだねていたかった。
その夜、タージの余韻を抱いてアグラのトライデントホテルに泊まった。
12月31日
  
FACEBOOKにインド旅行の写真をたくさん掲載していますので、ぜひご覧ください。
インドで見たこと。考えたこと。
⑥
ガンジーはこんな言葉を残している。
「ニューデリーにはインドはない。インドの魂は農村にある」と。
確かにデリーの高級ホテルでのほほんといては、ほんとうのインドなどわかるはずもない。
ただ、今回のインド旅行では、インドの片田舎を旅する予定はまったくなかった。
ところが、デリーからアグラに行く列車の切符が取れない(よくあることらしい)。
やむなくクルマでの200キロの移動となり、10時間もの間、インドの農村風景に触れることとなった。
いくつもの町や村を通り過ぎた。途中の休憩地点では、蛇使いや象使い、物売り、物乞いの子供たちが
お金目当てに近寄ってきて、しつこくクルマの窓ガラスをたたき、写真を撮っただけで、お金を請求された。
途中の町はどこもほこりっぽく、人々であふれ、道路わきで牛が寝そべっていた。
家々や商店はとてもきれいとはいえなかったが、人々の顔にあくせくしたところが見えない。
朝のラッシュ時の東京駅の人たちの方がよほど暗いように思えた。
インドの太陽がまぶしすぎたのか。ゆったりとした時間の流れのせいだったのか・・・。
絵になる景色がたくさんあると思いながら、クルマの窓からカメラのシャッターを切り続けた。
クルマはクラクションを鳴らし続けながら乱暴な運転で走っていく。
ふと隣の女友達を見ると、疲れたのか眠りに入っていた。
12月4日
  
インドで見たこと。考えたこと。
⑤
デリーは無秩序な活気にあふれていた。
クルマはクラクションを鳴らし続け、どこも人人人だ。
ホテルの中だけではわからない、インドらしさに触れてみたいと思った。
現地のガイドに案内してもらい、三人でオールドデリーにある主な寺院や遺跡を回った。
中でも、最初に訪れたインド最大のモスク、ジャマー・マスジットが印象に残った。
なにやらあやしい物品を売る露店がひしめく泥棒バザールともいわれる一角を抜けると、
門の向こうに大きな広場と大理石の美しい礼拝堂が現れ、人々が祈りを捧げていた。
猥雑な街並みと神聖な信仰の場が共存していることが面白かった。
さらに、ラール・キラーや高さ72メートルの塔があるクトゥブ・ミーナールなども回り、興味深かった。
デリーには、一日ではとても見足りないほどの歴史と文化が詰まっている。 最終日、オートリキシャに乗って、ふたりでオールドデリーのバザールに出かけた。
汚くて、身の危険さえ感じる場所だったが、女友達は平気な顔をしてさっさと歩いて行く。
インドで暮らすには、それなりのたくましさを身につけないと生きていけないようだ。
ここで迷子になっては日本に帰れないのではと思いながら、
足早に彼女の後ろ姿を追った。
11月24日
  
インドで見たこと。考えたこと。
④
デリーで3泊することにした。問題はホテルだ。
調べてみると、1000円以下の安宿から10万円近い高級ホテルまである。
ふらりバスから降り立ち、その日の宿を歩いて探す。学生時代なら、そんな気ままな旅もいいけれど。
今回はそうはいかない。居心地がよく安心できるホテルがいいと思った。
街の中心地に近い五つ星ホテルに絞り、後は日本の旅行代理店に任せした。
コンノート・プレイスにほど近く、レストランなどが充実していたラリットホテルに決め、予約を入れた。
450室の大型ホテルで、正門には守衛がいて、玄関先でもいちいち荷物検査があった。
ホテルに入ったとたん、大きな宗教建築の中に通されたような錯覚を覚え、その感覚はチェックアウトまで続いた。
宿泊客はインドの裕福層や欧米人がほとんどで、宿泊中日本人客はひと組しか出くわさなかった。
ふたり部屋は広く、内装も高級感が漂っていたが、当然あるものと思っていたバスがなく、
透明ガラスで囲われたシャワールームだけだったのには驚いた。
プールサイドでのなにもしない贅沢な時間は、ここがインドであることを忘れさせてくれた。
夕食はすべて、ホテル内のレストランで済ませ、一日だけ夜のデリーに繰り出した。
毎晩二人で、高級ワインを空けた。自分がここにいることが不思議に思えた。
至福の時間が過ぎていった・・・。
11月13日
  
インドで見たこと。考えたこと。
③
成田からデリーまで、JLで8時間。
座席が日本人ツアー客に取り囲まれ、あちこちで日本語が飛び交い、
とてもこれからインドへと行く気がしなかったが、初めてのひとり旅には心強かった。
雲の上からヒマヤラの山々が見えた時、はるばるインドにきたことを実感し、長旅の疲れが吹っ飛んだ。
こうして始まったインドでの体験を、「インド旅行記」にと意気込んでみたが、
長年インドで暮らしている日本女性の言葉が、頭の片隅から離れない。
「インドを旅行するのと暮らすのとでは、コーヒー牛乳とコーヒーほどの違い」だと。
考えてみれば、インドという巨象の背中あたりをちょっとなでただけの物見遊山で、インドを語れるはずもない。
デリーではオールドデリーの雑踏の中をふたりで歩き回ったが、露店が並ぶ大通りから入った
あの薄暗くきたない路地の向こうに、ほんとうのインドがあったような気がする。
ここで旅のガイドブックを書くつもりもなく、なんの旅のアドバイスもできない。
それでもいま、旅の記憶をたどりたいのは、他ならぬ自分のために。
平凡な日常から離れてこそ見えたこと。考えたこと。
いま歩いている自分の旅への答えがほしくて、
この手記を書いている。
11月4日
  
インドで見たこと。考えたこと。
②
インドに行くことになったきっかけは、メールだった。
メール相手はデリーにいた女友達で、彼女がまだ東京にいた頃、デリーに行きたいという話を聞いた。
紛争中のアフガンやパキスタンに近いので治安上の危険性が高いように思え、
娘を送り出す父親のように反対したが、私の意見はあっさりと聞き流されてしまった。
それからしばらくして、彼女はほんとうにインドに旅立ってしまった。
その後安否が心配になりメールをしたところ、インド生活を満喫している様子。
何度かメールをしているうち、インドをこの目で見たくなり、彼女からも大歓迎ですとの返事が来た。
ちょうど描いていた油絵のモチーフ探しもしたかったし、なにか刺激もほしかった。
この機会を逃すと、インドに行くことなどないと思い、即決した。よしっ、行くかあ。
とはいえ、パスポートはどこ?やっとのことで、机の奥から探し出すと、
そのパスポートは切れていた。そういえば、海外旅行なんて10年前に中国に行って以来だからなあ。
CM撮影やプライベートで何度か海外に行ったが、すべてグループ旅行だったので、
ひとりで海外に行くなんて、初めての経験となる。
それに、インドはビザがいるって。なに、ビザって。
おいおい、大丈夫かよお、インドに行くのは。
10月25日
  
インドで見たこと。考えたこと。
①
「インドに行ってくる」と言ったら、
ほとんどの人が少し困惑したような顔をして、「あのインドにですかあ」と問い直す。
「ええ、あのインドです」と言ったものの、あのインドって、どのインドなの?と不安になった。
いろいろ話してみると、インドに行ったことのない人がほとんどで
本やテレビで仕入れた情報をもとに、それぞれが勝手なイメージをつくりあげている。
つまりは牛丼屋のキャッチフレーズ、「早い。安い。うまい」ならぬ、「遠い。暑い。臭い」国。
清潔とは言えない街角に牛やラクダが昼寝をしていそうな、暑くて、遠い国。ま、そんなところか。
近頃は韓国や中国がやたらとブームになっているが、インドは歴史や文化や国民性が
アジアの国々とは違うと思われている。確かにインド人の顔立ちは中東やヨーロッパ人に近いが
なぜかインドには親近感を持っていて、いつか行きたいと思っていた国だった。
今回のインド旅行は、団体のツアー客としての参加ではない。
デリーまでは一人旅で、ホテルも観光地もすべて自分で決めないとなにも進まない。
少し不安になり、インド関係のガイドブックを何冊も買い込み、読み始めた。
実は、インドに行くまでの私も、インドと言えば、
インドカレーが思い浮かぶ程度の認識だったのだから。
10月20日
  

「れざるぶる展」が終了いたしました。
実は今年限りという動きがありました。でもこの会は誰か一人の会ではなく、
たくさんの仲間が育て、つくりあげてきた会です。30年以上も。
そう簡単に終わらせるわけにはいかないと思いました。
それで、来年以降の代表幹事を引き受け、新体制で継続することにしました。
来年の契約も済ませ、自費で前金を払い込んできました。
来年もギャラリー日比谷で、日時は2012年9月7日(金)~12日(水)です。
遠く離れた日比谷の地に思いをはせながらの一年になるかと思いますが、
みなさまのご支援、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
9月8日

傍観者でいないか。ただの野次馬でいないか。
「がんばれ」ではなく、「がんばろう」。
その痛みと悲しみのすべてを受け止めることなどできないけれど。
ともに歩むという姿勢。連帯の輪を広げよう。
いま、自分たちのできることから。
3月16日
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