能登の蔵から。津田博文ホームページ www14.ocn.ne.jp/~tsuda/
  
                


taj mahal
2  0  1  2  M  a  y

月 の 初 め の ひ と り ご と

何十年ぶりかで、女友達に会った。
彼女とは高校までが同じで、初恋の人の親友という関係だった。
外資系の大企業の日本人幹部として活躍しているという話は
同窓会でよく話題になってはいたが、ここ何十年会うこともなかった。
それが偶然、フェィスブックのお友達リストで再会し、身近な存在となった。
亡くなった母親の法事で七尾に帰ってきていた彼女から連絡があり、会うことになった。
お互いいい歳になっても、何の気兼ねもなく気持ちは十代にタイムスリップする。
テーブルをはさんで、中学時代のシャイな私と快活な彼女がそこにいた。
せきを切ったように、彼女はこれまでの生きざまを話し始めた。
女性は結婚し、子供を生み育て、夫の都合で苦労を背負込むこともある。
その中で彼女は強く逞しくなり、いまも世界中を飛び回っている。
まだまだやり残したことがあると思っていた私は、
東京での再会を約束して別れた。
5月1日


日本一のでか山が街を練り歩く七尾の青柏祭(5月3・4・5日)



先月の29日。うれしい知らせが届いた。
出品した現代美術展の作品が、最高賞に次ぐ次賞に入り、
「かほく市長賞」を受賞したという連絡で、その日の北國新聞の朝刊にも載った。
前日入選発表があったが、洋画部門222人の中の一人に過ぎず、それほどの喜びはなかったが。
3年前、いなかに帰って、絵が描ける環境が整い、現美に出品すると言ったら、
まわりの人たちに驚かれた。ここ石川は美術王国と言われるほどの土地柄で、
この現美も単なる一地方展のレベルをはるかに超えていて、実際日展作家も落選の憂き目にあっている。
けれど、まったく根拠のない自信があった。東京でやってきたことを考えれば、これくらいはと思っていた。
その年初めての出品で入選し、今回で結果を出した。めざすは昨年出せなかった日展で、
もう土の蔵で準備に入っている。これほどまでに創作活動に集中できる環境に感謝している。
現美の受賞作については、解説も制作意図も書かない。観ていただきたい。
題名は、「GAREKI」。
4月1日


・蔵の中のアトリエは絵の具が散乱したまま/2009年4月の七尾小丸山公園のさくら。今年ももうすぐ


第68回現代美術展

平成24年3月31日(土)~4月17日(火)
会期中無休・午前9時半~午後6時(金、土は午後8時まで)

・金沢21世紀美術館(洋画・彫刻・写真)
・石川県立美術館(日本が・工芸・書)



先月半ば、東京に行ってきた。
北陸本線からほくほく線経由で上越新幹線に乗り換え、東京に出る。
いまのところ、列車で東京に行くにははこれが一番早いが、それでも5時間近くかかる。
その日は特に豪雪で、列車が一時間以上遅れ、一日がかりの旅となった。
後二年ほどすると、北陸新幹線ができ、東京と金沢は2時間半で結ばれるという。
確かに便利になるが、のんびりと旅する風情はなくなってしまうだろうなと思いながら、
灰色の冬の日本海や真っ白な雪に覆われた立山連峰を眺めていた。
ゴトゴトという列車の音がコツコツという音と重なった。
ネットやメールしかり。なにごとも早ければいいというものでもない。
その過程が大事なのだと思う。
3月1日


列車から見た冬の日本海



各地から記録的な大雪の便りが届く。
ここ七尾は、半島の内浦という地理的な条件からか、比較的積雪が少ない。
北陸では最も少ないのではないだろうか。半島であることが、時として有利に働く。
この雪景色の中で磨かれる感性や美意識はきっとある。
雪国を嫌って都会へと出ていく人も少なくないが、その東京はいつ大地震が来てもおかしくないという。
リスキーな都会に住まなくても、その気になれば時代の先っぽだって手に入る。
最近始めたフェィスブックのおかげで(ぜひサイトにアクセスを)、情報は世界中から飛び込んでくる。
この小さな島国で、どこがいいの悪いのと言ってる場合ではない。
これからの時代、予断を持たず、しなやかに生きたいものだ。
雪の重みを受け止める草木のようにね。
2月1日


庭の雪景色。積雪は15センチほどだが、冷たい寒気が肌を刺す。


~山から海への絆がつくる七尾のながめ~
第3回 ななお景観フォーラム2012
同時開催 景観写真展
2月19日(日)13:30~16:00  
●七尾サンライフプラザ2F視聴覚室(定員100名)申し込み不要・参加無料
①第2回「ななお景観賞」表彰式
②基調講演「能登の里山里海を地域の手で守り伝える」
 講師/赤石大輔氏
③パネルディスカッション 
コーディネータ-/鍔隆弘氏(金沢美術工芸大学教授)
主催 七尾市 お問合せ/0767-53-8469



あけましておめでとうございます。
初詣でおみくじをひいたら、大吉でした。願い事、待ち人、商い・・すべて吉。
こりゃ春から縁起がいいやと、浮かれているわけではありませんが、
神頼みもしたくなるようなこのご時世。みなさまにとっても、良き一年でありますように。
本年もよろしくお願いいたします。
平成24年元旦 



振り返れば、あの3.11があって。
志半ばで帰らぬ人がいて。幸せに生きることを断ち切られた人がいて。
たまたま住んでいた場所が違うだけで、おめおめと生きている人がいて・・・。
自分の立ち位置はと考えさせられ、人と人とのつながりとか
絆とかを、あらためて気づかされた一年だった。
他者へのまなざしだけは、忘れないようにしたいと思う。
誰も、ひとりで生きてはいけないのだから。
12月31日



インドで見たこと。考えたこと。


どんな旅にも、ここだけは見ておきたい場所がある。
タージマハルの世界遺産は、今回のインド旅行で最も楽しみにしていた。
デリーから200キロ離れたアグラにあり、日帰りでも行けるが、一泊する日程を組んだ。
アグラ市内に入り、河向こうにタージの建物が見えた時、長旅の疲れが吹き飛んだ。
タージに行く前に、アグラ城を観た。あまり期待していなかったが、意外と(失礼)と良かった。
タージの正門を通り抜けると、目の前に巨大な白亜の大理石の建造物が現れた。
写真ではよく見ていたので、会いたかった大スターに会えたような喜びがあった。
その圧倒的な存在感の前に、誰もが驚嘆し、誰もが同じ場所で同じ写真を撮り始め、私たちも並んだ。
磁力にひきつけられるように歩き始めた。亡き妃への愛を表現したというタージは
シンメトリーな景観が際立ち、まったくの異次元空間だった。
宮殿の裏手に回ると、どこまでも続くインドの大地が見渡せ、ヤムナー河が静かに流れていた。
何千年も変わらなかったであろう空気感そのものが心地いい。
夕暮れ時が迫っていた。月下に照らし出されるタージは現世のものとは思えないという。
このままずっと、ゆったりと流れる時間の中にすべてをゆだねていたかった。
その夜、タージの余韻を抱いてアグラのトライデントホテルに泊まった。

12月31日



 FACEBOOKにインド旅行の写真をたくさん掲載していますので、ぜひご覧ください。



インドで見たこと。考えたこと。


ガンジーはこんな言葉を残している。

「ニューデリーにはインドはない。インドの魂は農村にある」と。

確かにデリーの高級ホテルでのほほんといては、ほんとうのインドなどわかるはずもない。

ただ、今回のインド旅行では、インドの片田舎を旅する予定はまったくなかった。
ところが、デリーからアグラに行く列車の切符が取れない(よくあることらしい)。
やむなくクルマでの200キロの移動となり、10時間もの間、インドの農村風景に触れることとなった。

いくつもの町や村を通り過ぎた。途中の休憩地点では、蛇使いや象使い、物売り、物乞いの子供たちが

お金目当てに近寄ってきて、しつこくクルマの窓ガラスをたたき、写真を撮っただけで、お金を請求された。
途中の町はどこもほこりっぽく、人々であふれ、道路わきで牛が寝そべっていた。
家々や商店はとてもきれいとはいえなかったが、人々の顔にあくせくしたところが見えない。
朝のラッシュ時の東京駅の人たちの方がよほど暗いように思えた。
インドの太陽がまぶしすぎたのか。ゆったりとした時間の流れのせいだったのか・・・。
絵になる景色がたくさんあると思いながら、クルマの窓からカメラのシャッターを切り続けた。
クルマはクラクションを鳴らし続けながら乱暴な運転で走っていく。
ふと隣の女友達を見ると、疲れたのか眠りに入っていた。
12月4日





インドで見たこと。考えたこと。

デリーは無秩序な活気にあふれていた。
クルマはクラクションを鳴らし続け、どこも人人人だ。
ホテルの中だけではわからない、インドらしさに触れてみたいと思った。
現地のガイドに案内してもらい、三人でオールドデリーにある主な寺院や遺跡を回った。
中でも、最初に訪れたインド最大のモスク、ジャマー・マスジットが印象に残った。
なにやらあやしい物品を売る露店がひしめく泥棒バザールともいわれる一角を抜けると、
門の向こうに大きな広場と大理石の美しい礼拝堂が現れ、人々が祈りを捧げていた。
猥雑な街並みと神聖な信仰の場が共存していることが面白かった。

さらに、ラール・キラーや高さ72メートルの塔があるクトゥブ・ミーナールなども回り、興味深かった。
デリーには、一日ではとても見足りないほどの歴史と文化が詰まっている。
最終日、オートリキシャに乗って、ふたりでオールドデリーのバザールに出かけた。
汚くて、身の危険さえ感じる場所だったが、女友達は平気な顔をしてさっさと歩いて行く。
インドで暮らすには、それなりのたくましさを身につけないと生きていけないようだ。
ここで迷子になっては日本に帰れないのではと思いながら、
足早に彼女の後ろ姿を追った。
11月24日





インドで見たこと。考えたこと。

デリーで3泊することにした。問題はホテルだ。

調べてみると、1000円以下の安宿から10万円近い高級ホテルまである。
ふらりバスから降り立ち、その日の宿を歩いて探す。学生時代なら、そんな気ままな旅もいいけれど。
今回はそうはいかない。居心地がよく安心できるホテルがいいと思った。
街の中心地に近い五つ星ホテルに絞り、後は日本の旅行代理店に任せした。
コンノート・プレイスにほど近く、レストランなどが充実していたラリットホテルに決め、予約を入れた。
450室の大型ホテルで、正門には守衛がいて、玄関先でもいちいち荷物検査があった。
ホテルに入ったとたん、大きな宗教建築の中に通されたような錯覚を覚え、その感覚はチェックアウトまで続いた。
宿泊客はインドの裕福層や欧米人がほとんどで、宿泊中日本人客はひと組しか出くわさなかった。
ふたり部屋は広く、内装も高級感が漂っていたが、当然あるものと思っていたバスがなく、
透明ガラスで囲われたシャワールームだけだったのには驚いた。
プールサイドでのなにもしない贅沢な時間は、ここがインドであることを忘れさせてくれた。
夕食はすべて、ホテル内のレストランで済ませ、一日だけ夜のデリーに繰り出した。
毎晩二人で、高級ワインを空けた。自分がここにいることが不思議に思えた。
至福の時間が過ぎていった・・・。
11月13日





インドで見たこと。考えたこと。

成田からデリーまで、JLで8時間。
座席が日本人ツアー客に取り囲まれ、あちこちで日本語が飛び交い、
とてもこれからインドへと行く気がしなかったが、初めてのひとり旅には心強かった。
雲の上からヒマヤラの山々が見えた時、はるばるインドにきたことを実感し、長旅の疲れが吹っ飛んだ。

こうして始まったインドでの体験を、「インド旅行記」にと意気込んでみたが、
長年インドで暮らしている日本女性の言葉が、頭の片隅から離れない。
「インドを旅行するのと暮らすのとでは、コーヒー牛乳とコーヒーほどの違い」だと。
考えてみれば、インドという巨象の背中あたりをちょっとなでただけの物見遊山で、インドを語れるはずもない。

デリーではオールドデリーの雑踏の中をふたりで歩き回ったが、露店が並ぶ大通りから入った
あの薄暗くきたない路地の向こうに、ほんとうのインドがあったような気がする。
ここで旅のガイドブックを書くつもりもなく、なんの旅のアドバイスもできない。
それでもいま、旅の記憶をたどりたいのは、他ならぬ自分のために。
平凡な日常から離れてこそ見えたこと。考えたこと。
いま歩いている自分の旅への答えがほしくて、
この手記を書いている。

11月4日





インドで見たこと。考えたこと。

インドに行くことになったきっかけは、メールだった。

メール相手はデリーにいた女友達で、彼女がまだ東京にいた頃、デリーに行きたいという話を聞いた。
紛争中のアフガンやパキスタンに近いので治安上の危険性が高いように思え、
娘を送り出す父親のように反対したが、私の意見はあっさりと聞き流されてしまった。
それからしばらくして、彼女はほんとうにインドに旅立ってしまった。
その後安否が心配になりメールをしたところ、インド生活を満喫している様子。
何度かメールをしているうち、インドをこの目で見たくなり、彼女からも大歓迎ですとの返事が来た。
ちょうど描いていた油絵のモチーフ探しもしたかったし、なにか刺激もほしかった。
この機会を逃すと、インドに行くことなどないと思い、即決した。よしっ、行くかあ。
とはいえ、パスポートはどこ?やっとのことで、机の奥から探し出すと、
そのパスポートは切れていた。そういえば、海外旅行なんて10年前に中国に行って以来だからなあ。
CM撮影やプライベートで何度か海外に行ったが、すべてグループ旅行だったので、
ひとりで海外に行くなんて、初めての経験となる。
それに、インドはビザがいるって。なに、ビザって。
おいおい、大丈夫かよお、インドに行くのは。

10月25日





インドで見たこと。考えたこと。


「インドに行ってくる」と言ったら、
ほとんどの人が少し困惑したような顔をして、「あのインドにですかあ」と問い直す。
「ええ、あのインドです」と言ったものの、あのインドって、どのインドなの?と不安になった。
いろいろ話してみると、インドに行ったことのない人がほとんどで
本やテレビで仕入れた情報をもとに、それぞれが勝手なイメージをつくりあげている。
つまりは牛丼屋のキャッチフレーズ、「早い。安い。うまい」ならぬ、「遠い。暑い。臭い」国。
清潔とは言えない街角に牛やラクダが昼寝をしていそうな、暑くて、遠い国。ま、そんなところか。
近頃は韓国や中国がやたらとブームになっているが、インドは歴史や文化や国民性が
アジアの国々とは違うと思われている。確かにインド人の顔立ちは中東やヨーロッパ人に近いが
なぜかインドには親近感を持っていて、いつか行きたいと思っていた国だった。
今回のインド旅行は、団体のツアー客としての参加ではない。
デリーまでは一人旅で、ホテルも観光地もすべて自分で決めないとなにも進まない。
少し不安になり、インド関係のガイドブックを何冊も買い込み、読み始めた。
実は、インドに行くまでの私も、インドと言えば、
インドカレーが思い浮かぶ程度の認識だったのだから。
10月20日






「れざるぶる展」が終了いたしました。
実は今年限りという動きがありました。でもこの会は誰か一人の会ではなく、
たくさんの仲間が育て、つくりあげてきた会です。30年以上も。
そう簡単に終わらせるわけにはいかないと思いました。
それで、来年以降の代表幹事を引き受け、新体制で継続することにしました。
来年の契約も済ませ、自費で前金を払い込んできました。
来年もギャラリー日比谷で、日時は2012年9月7日(金)~12日(水)です。
遠く離れた日比谷の地に思いをはせながらの一年になるかと思いますが、
みなさまのご支援、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
9月8日


傍観者でいないか。ただの野次馬でいないか。
「がんばれ」ではなく、「がんばろう」。
その痛みと悲しみのすべてを受け止めることなどできないけれど。
ともに歩むという姿勢。連帯の輪を広げよう。
いま、自分たちのできることから。
3月16日


東京にいた頃の広告代理店仲間が関わっている
「きれい生活研究所」に、「れざるぶるの仲間たち展」が3回にわたり掲載された。
「キレイ」をキーワードにさまざまなジャンルの人たちが登場していて、
懐かしい名前を見つけると、「お、がんばってるな」と思ってしまう。
役立つ情報がたくさん詰まっているので
ぜひアクセスしてみてください。

きれい生活研究所
http://kireilife-lab.com/



Topics -contents
・大茶会・モントレージャズフェスティバル・イン能登201
・スポーツジム・祇園祭・写実絵画の殿堂
・世界農業遺産・現美七尾展・現代美術展
・でか山・男の茶の湯・サパンヌ・れざるぶるの仲間たち展




my gallery


「祈りの海。勇気とか希望とか」(F60号部分)
解説はこちら。

 

 ESSAY 能 登 回 帰 録
 


離れていたからこそ、見えてきたことや感じたこと。
つたない文章と一眼レフで撮った写真で綴っていたら、いつの間にか26本になりました。
その後の「修正・加筆して、順次掲載中」でしたが、データ処理のトラブル発生。
やっとNO16~20が完成しました。


essay 4

20.能登演劇堂の舞台から。
19.旧四高の教室で知ったこと。
18.梅雨入りは。
17.青柏の友。
16.等伯ゆかりの寺。

essay 3

15.42.195キロ。
14.妻恋船の湯。
13.冬の千里浜にて。
12.雪国であるからこそ。
11.和敬清寂。

essay 2

10.名古屋と能登の間で。
9..師走が走らない。
8.金沢旧中村邸にて。
7.第一食堂。
6.祭りの国から。

essay 1

5.しがらみとあきらめと無関心。
4.最後の絵画展。
3.能登の花ヨメ。
2.半島であること。
1.能登の鮭。 


 NANAO「土の蔵のギャラリー」のご案内
ただいま、ギャラリーはのアトリエと化して、
100号のキャンバスに占拠されています。なので、しばらく休館とさせてください。



                                      
KURA・KURA
       つい最近、土蔵が明治36年に建てられたことが判明して、驚いています。ということは、築103年。御先祖様に感謝しなくては。
         





立教大学サパンヌ美術クラブOB会ホームページ
思い返せば、サパンヌで絵を描いていた頃が、芸術と学生運動の最も華やかで過激な時代だったように思う。



「立教大学サパンヌ美術クラブOB会2010年展」
平成22年10月18日(月)~24日(日)・池袋のオレンジギャラリーにて




Profile  津 田 博 文

              七尾市生まれ。立教大学経済学部卒・宣伝会議コピーライター養成講座首席卒(久保田孝賞)。
大卒後、ロッテ宣伝部入社。 広告代理店第 一企画を経て、津田広告事務所設立。電通、ADKなどと組んで、多くの広告キャンペーンを展開。
ロッテ歌のアルバム、フジテレビ・テレビ朝日の生CM制作に始まり、ロッテ、ニッポンハム、キャビン「男なら、ふってみな」キャンペーン、
東芝、日清製油、山一証券、郵政省、トヨタ海外戦略広報活動、再春館製薬所ドモホルンリンクルなどなど、多数のクライアントの広告制作に携わった。
その後、東京池袋のまちづくり活動にも参画。平成18年 5月より、東京からふるさと七尾に帰郷。
市の景観形成市民懇談会委員・総合計画審議会委員・景観審議会委員として、七尾のまちづくりに取り組んできた。
現在、NANAO土の蔵のギャラリーを主宰。趣味は油絵と写真とガーディニングと茶の湯(表千家)。小説新人賞に作品を送り続けたがものにならず。
その情熱を学生時代から続けてきた絵画制作につぎ込んでいる、往生際の悪い、夢多きひとり者です。
 
 
   住所/〒926-0015 石川県七尾市矢田新町イ-27-1 
    
●tel/0767-52-1663(直通)/1603 
●携帯/090-1605-0308 ●メール/
tsudachi127127ivy@docomo.ne.jp
    
●メールアドレス/spru7u99@cap.ocn.ne.jp