海より深く空より広いものな〜んだ? その答えの一つに人の満足感があります。
最初はそれで満足していても必ずそれ以上を求め望むのが人ですね。
草食動物は品種改良して草を食べようとはしません。
肉食動物も霜降りの肉をとか考えません。
人のみが常に満足を追求していく生き物なのでしょうね。
快適さや便利さを求めて発展している現在ですが、犠牲になっているもの、失くしていくもの
もありますよね。
本当に人が生きていく上で必要なものはそんなに沢山はないはずです。
満足感を決めるのは一人一人の内にあると思います。
本当の満足とは・・・足ることを知ることにあるのかも知れませんね。
ご縁がある方を通して気付くことがあります。
それは結果として当人に嬉しくない事が起こった時に、それを周りのせいや
方向が悪いとか、縁起とか、他のものにその責任を向ける時
何も解決しないし、当人が一番結果的にはいつまでもその状況から
抜け出せないのではないかと思うのです。
起こることは意味があり、必要だから起こったと思います。
その現象に何のメッセージなのか?気付くことは?と答えを求めた時
次第に良くなり、幸せへとつながると思うのです。
でもこれは人から言われて「はいそうですか」とは多分納得いかないことなのでしょうね。
だからこそ、責任や原因を外へ外へと求めるのでしょうね。
気付いて、みんな幸せになってほしいなと強く思います。

人と人が出会うのは、偶然ではなく、その人にとって必要だから
つまり必然なのでしょう。
ご縁があって、サロンにいらっしゃって下さる方に共通しているのは、
どの方もとっても優しくて、心が繊細で魂がキラキラ輝いていらっしゃる
方が多いのです。
そしてその方が抱えている問題が私とリンクしている事が多いんです。
不思議ですね。
つまり、シンクロしているんですね。
お互いに出会う事により、何かを気付き学び成長していく為なのでしょう。
出会う人ひとり、ひとりに感謝の気持ちでいっぱいです。
〜天使の風〜
自信を持つ事は何かを自分で行う時に必要不可欠です。
「大丈夫かな〜?」「失敗しないかな?」と不安がよぎるのは当たり前ですね。
特に初めての試みや過去失敗した経験があることに再度挑戦する時は尚更です。
不安が過ぎるのを意識の力で払いのけ、上手くいっている自分をイメージして、
深呼吸しながら「私は大丈夫!絶対に出来る!」
そう意識するのは、とっても大事な事なのです。
なぜなら、エネルギーは思考に付いてくるからです。
ですから、なるだけポジティブに考える方が絶対に良いのですね。
そして、成功するとそれが「自信」となって、自分の中の力を信じる事が出来る。
私も周りの人がOKサインだしても、なかなか自己信頼ができなかったりするので
その度に「思考はエネルギーについてくる」と自分に言い聞かせています。(笑)
〜天使の風〜
見栄って一体何でしょうね?
自分を必要以上に良く見せたいから、そのように発言したり、行動するのでしょうね。
ずっと昔の私もその一人でした。見栄というよりも“痩せ我慢”がピッタリだったかもしれません。
今、周囲を見渡す時、あちらこちらで「見栄」が見え隠れします。
なぜか、見えてきてしまうんです、その方の真実の姿が・・。
かわいそうだなぁ〜て思いますね。騙されたとかは思えません。
そうやって、虚勢を張らないと自分が通用しないと思い込んでいるところが、不憫です。
いつの日かその不要な枠も取れる事を願っています。
だって、どんな人でも存在しているだけで、十分役目を果たしていると思うからです。
だから無理して、強がったり、賢く見せる必要は無いのではないかと・・・そう思います。
相手が誰であっても自然体で毎日を過ごしたいものですね。
〜天使の風〜
避けられないものの一つに「別れ」があります。
それは、色んなパターンがあることでしょう。例えば、「巣立ち」「別離」「死別」etcと形は
変わっても、多かれ少なかれ人生には幾度となくやって来るものですね。
別れは寂しいものですが、それは自分にとって必要だと思うから寂しいのでしょうね。
相手にとっては、別れを通して更なる成長と発展があるかも知れません。
多分、その方が良いと天が判断したから、その状況にいるのでしょう。
だとしたら、感情で判断するのは、横に置いておいて、大きなまなざしと愛で
遠くから応援するのが
長い目で見たら、双方に良いのかも知れませんね。 〜天使の風〜
人は時として自分の身体を必要以上に酷使することがあります。
それはほとんどの場合、家族や愛する人の為というのが多いように思います。
でも思うんです。
健康な身体があってできるのではないかと。
魂だけで来られてもちょっと怖いですものね。
自分を犠牲にして誰かを助けたいという気持ちは良く分かります。
でも、天から観たら、この人よりこの人の方が大切だとかあるでしょうか?
社会的にはもちろんあるでしょうけど、天はそうはおっしゃらないでしょう。
お一人お一人が大切な命と存在ですから。
だから、身体が限界のサインを出す前に、労わってあげて下さい。
そして、いつも黙って動いてくれている身体に「ありがとう」と言ってあげて下さい。
「あれは間違っている」 「それはおかしいだろう」と、とかく人は
自分の物指しで判断してしまいます。
しかし、それは誰がそう判断できるのでしょうか。そもそも判断する基準は
どこにあるのでしょう。社会?本?評論家?
時代の流れと共にそれは大きく変わって行きますね。
人智が及ばない事が世の中には、たくさんあります。
判断するのをやめて、決して同意するのではなく、ただ受け入れるだけで
世の中円滑に過ごす事ができると思うのです。
判断する基準は、純粋な心の声(魂の叫び)が一番的確だと思います。
人は生きていく中で、いろんな荷物(苦労)を背負います。
「私は苦労の連続だ」「何で私だけ貧乏くじを引くの」など耳にしたことがあるでしょう。
確かに人は、他人と比較しないと分からない事があります。
でも、思うんです。
人の苦労に大きいも小さいも、重いも軽いも、ないのではないかと思います。
元々背負う背中の大きさや器がそれぞれ違うのですから。
小学生のランドセルを小学生が背中いっぱいに占める割合。、
ランドセルを高校生や大人背負ったら、どう見えるでしょうか?
苦労や人生の荷物も同じ事が言えると思うのです。
天は、背中や器から溢れ出る程の苦労は与えない。
だから、他人と比較しないで、むしろ「私はこれだけ背負える器の人間なのだ」と
自信を持って歩いて行ってほしいですね。
ゴールには、素晴らしい「徳」というご褒美が待っています。
誰でも自分の中に答えを持っています。
しかし、人は不安と言う雲に隠されて答えが見出せなくてつい、誰かに、何処かに、
答えを求めて廻るのです。
だからこそ、威厳やカリスマ的な人や本からメッセージを貰った時に「そうだ!」とか
「何か腑に落ちない!」と自分の中の真実の答えと照らし合わせているのです。
自分の中の答えは間違いはありませんが、たまに違っている時は、ほとんど頭で
考えている時が多いのではないでしょうか?!
「だ〜れも分かってくれない!」と思うときでも、自分自身はちゃんと理解しているん
ですよね。 自分を大切にしたいですね。
人には、それぞれ成長する速度があると思います。
竹タイプの人は、真っ直ぐに目標に向って速い速度で成長します。
しかし年数的には長持ちはせず、また枯れて新たに成長して根を張っていく。
一方杉や樫の木や銀杏の木は、成長する単位は月や一年ではあまり感じられません。
しかし、何十年、何百年と長く、大きく、高く成長します。
これを同じには比べられません。
人もエリートまっしぐらで目的達成する人もいれば、うよう曲折しながら
大きく成長する人がいます。
どれがよいかではなく、自分がどのパターンが楽で性にあっているかが大事だと思います。
誰しも心の中に「不安」と「焦り」を持っています。
どういう時にそれが顔を出し大きく膨らむのでしょうか?
不安も焦りも実体は無い、自身の心が作り出した魔物でもあります。
自分の今立っている足元を見ているとそれは顔を出しませんが、
目標を見つめ先に進んでいる人(周り)を見た時に自分の位置と照らし合わせ
、焦りが生じそれが不安を呼び起こすのでしょう。
よ〜く冷静になって考えてみたら、「私は私の進み方でよいのだ」と安心感が生まれてきます。
私も、出遅れたとか、置いてきぼりをくったとか・・考える事がしばしばあります。
それは自分の焦点がズレて相手に合わせているかであり、
もっと自分らしい足取りがそれぞれにあると思います。
歩いているその瞬間も楽しめることが一番ステキな事ではないでしょうか?!
私たちの命には、たくさんの命のバトンが織り込まれています。
それはDNDでもある先祖の灯火がバトンリレーとして流れていたりします。
自分の命・人生であっても、その背後にはたくさんの慈しみによる愛が託され、
未来が託されています。
だから、「自分さえ良ければ・・」「自分の人生なのだから、好きにする」とは、違うように思います。
人は一人で大きくなったように錯覚しがちですが、実はたくさんの人や動物、植物の命の灯火が
体の中に入っているのです。
ですから、どうぞ無駄にしたり、粗末に扱ったりしないでほしいと願います。
人が一番聞いて不愉快になるのは、「自慢話と愚痴」だと思います。
それは自慢話は第三者を通して耳にした時、素晴らしいと賛同できますが、
自らが自己PRするのは如何なものでしょうか?!
そして、愚痴もあまり聞きたくないものの一つですね。
何故なら愚痴を聞いても、何も解決しないし、聞いている人も不愉快になるし、
話している本人が一番楽しくないはずだからです。
それよりも、人を褒めて陰徳を積んだ方がずっと良い結果を招くと思いませんか。
時間がないとか、間に合わないとか、色々と時間に追われる事が日常生活です。
でも、時間が流れてくれるからこそ、嫌な事や苦しみから解き放たれるのですよね。
そう考えると、ありがたいなと時間の経過に感謝したくなります。
その時間の最たるものが「命の時間」です。しかし、これさえも広い視野で見ると
悲しく寂しいばかりではなく、とってもありがたいことだと気付きます。
きっと人は永遠の時間は必要ないのでしょう。