(1)賀茂神社(加茂神社)
文化1年(1802年)頃の建立で、現在の社殿は明治15年(1882年)9月に再建されました。市井地区の産土神(うぶすながみ)です。祭神は別雷神(わけいかづちのかみ)、玉依姫(たまよりひめ)をお祀りしています。拝殿中央上に「賀茂大明神」の古い額が飾られ、絵馬も二つ奉安されています。
明治45年に建立された豊太閤之碑に「慶長三年八月十三日」とありますが、「十八日」が正しいようです。
境内神社に、天満神社(祭神は菅原道真公)、道祖神社(祭神は猿田彦神)の二社があります。なお、境外末社であった八阪神社、戎子神社は大正4年(1915年)6月に本社に合併しました。
年中行事としては、秋の大祭、正月のどんと焼き、宮ごもりなどの神事が行われています。
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(2)市井集会場
この集会場(地元の通称:センター)は、自治会や地区の会合はもとより、海水浴の「海の家」や休憩所などに利用されています。この集会場から県道&防波堤を越えると、すぐに砂浜と海が広がっています。
★集会場(センター)を使用したい方は市井地区自治会長へお申込み・お問い合せ下さい【要予約・有料】。電気・PGガス・冷蔵庫完備。シャワー室(BOX)もあります。
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(3)市井港
市井港は賀茂神社のすぐ近くにあり、市井地区の海の玄関口です。
広島汽船のさちかぜ号(1日1往復、市井−青木−甲路−丸亀)が就航しています。
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(4)市井浜
市井浦の約500メートル以上にわたって白砂の砂浜が広がっています。風光明媚な瀬戸内海が眼前に広がり、対岸の岡山県倉敷市が見渡せます。
聞こえるのは打ち寄せる波の音だけで、静寂なプライベートビーチと言ってもいいでしょう。
また、浜の西の端には「西の鼻」といわれる岬が風景のアクセントになっています。磯釣りや夏は海水浴が楽しめます。
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(5)浜墓地
市井浜の波の音を聞きながら、安らかにご先祖様が眠っていらっしゃいます。
火葬が普及する前は、土葬するお墓即ち「埋め墓」が浜墓地にあり、お寺や集落内(市井地区はこの浜墓地の他、山田薬師堂横や軍人墓地の墓所もあり)に普段お参りするための「参り墓」が作られていました。これを「両墓制」といいます。
しかし、火葬が一般的となった現代では、市井の浜墓地に墓石を建立して使用されています。
また、浜墓地には咸臨丸の水夫(水主・かこ)として渡米した向井仁助(にすけ)のお墓があります。戒名は本覚西入清信士。なお、玉瀧寺の境内墓地にも向井仁助(にすけ)のお墓があります。
※墓石の写真は準備中※
【関連URL】
http://www3.ocn.ne.jp/~h-kimm/newpage6.html
http://www3.ocn.ne.jp/~h-kimm/ship05.html
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(6)皇紀二千六百年記念碑〜山口嘉次郎氏と古川阪次郎氏〜
昭和15年(1940)年が皇紀2600年であることを顕彰した記念碑で山口嘉次郎氏と古川阪次郎氏が建立しました。この二人は市井地区出身で、世のため人のために尽力された名士で、特に讃岐広島や市井では今も語り継がれる大恩人です。
山口嘉次郎氏は明治8年(1875年)に市井に生まれ、塩飽の船大工から身を起こし、明治34年(1901年)に満州へ渡り、材木商を営んで活躍した。「有能な人材育成こそ万事の発展の礎」と考え、昭和12年(1937年)に教員住宅を建て、昭和15年(1940年)年に私財を投じて山口財団法人香川県興亜中学校を高松の屋島山麓に設立し、文字通り亜細亜を興すというスローガンのもと、教育に力を注がれました(興亜中学校は昭和24年に廃止)。その後、丸亀城下に塩飽学生寮を建て、塩飽諸島の生徒を大勢受け入れました。
昭和29年(1954年)没。
一方、古川阪次郎氏は大正から昭和にかけて国鉄で活躍されました。甲州街道の笹子峠にトンネルを掘り、明治36年(1903年)、当時の日本で一番長い4,656mの笹子トンネルを開通させ、中央線の開通となりました。その後、満州鉄道理事を経て、東京へ帰って鉄道院副総裁を務めました。その当時の数少ない工学博士の一人であったということです。
なお、旧・広島西小学校の校庭に遺徳を偲ぶ石碑が建てられています。

写真の左が山口嘉次郎氏、右が古川阪次郎氏(石の里資料館の展示より)
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(7)玉瀧寺のヤマモモの木
ヤマモモの大木が玉瀧寺境内の中央に鎮座しています。このヤマモモの古木のすぐ脇に『三界萬霊碑』が建立されています。石碑の上頭部にヤマモモの太い枝が食い込むように、しっかりと石碑が支えています。

※詳細はこちらをご覧ください。 |
(8)ポニーの里・市井(牧場)
Yさん夫妻が開拓・整備して、愛情込めてポニーの馬3頭を飼育しています。愛らしいポニーの顔が印象的です。
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(9)山田薬師堂(市井のお薬師さん)・山田墓地
山田という小高い丘に「市井のお薬師さん」はあります。江戸時代は「山田庵」といわれていました。
広島ミニ八十八か所の第58番札所でもあります。また、薬師堂の隣に古い墓地があります。

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(10)観音堂
県道からフェンス沿いのコンクリート道を海岸に向かって進むと祠堂があり、観音菩薩の石仏が祀られています。
「お乳が出ますように」と、布で乳房の形を作って願かけすると願いが成就すると言われ、霊験あらたかです。乳観音や乳薬師の信仰は全国的に存在し、ここもその一つです。
※『心経−広島西小学校創立百周年記念誌』で、このお堂が「お乳が出るのにご利益があるお薬師さん」と記述されていますが、地元の方のお話を総合すると、「お乳が出る観音さん」という結論に至りました。 |