【お知らせ】
平成24年に讃岐広島八十八箇所開創100周年を迎えます!
★100周年記念法要:平成24年3月31日(土)
茂浦・正福寺→市井・玉瀧寺→青木・長福寺→江の浦・地福寺→立石・神光寺で巡回法要
どうぞご参拝下さい!
【詳しくはこちらの「PDF」をご覧下さい】
★お大師まいりお接待行事:平成24年4月11日(水)
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寛文3年(1663)に光慶法印が中興開山
瀬戸内海の塩飽諸島唯一の天台宗寺院
玉瀧寺(ぎょくりゅうじ)は山号から「寶海山多聞院玉瀧寺」といい、多聞院の名前のごとく、御本尊は毘沙門天(多聞天)を奉安する。
瀬戸内海の塩飽諸島は有人・無人を含めて大小28の島からなり、玉瀧寺は「塩飽七島」の一つである「広島」の市井地区にあり、市井港から南西の少し高台に位置し、境内から市井浦や手島を望む瀬戸内海が見渡せる。
往古の開基は不明であるが、寺伝によれば、寛文年間(1661〜1672)より前は永福寺(一説には円福寺とも)といい、讃岐本島の正覚院(妙智山正覚院観音寺)の末寺で真言宗であったという。
江戸時代初期以前には、「廣島七福寺」と言われる真言宗寺院があったらしく、その一つであったという。なお、讃岐広島に現在6ヶ寺があるが、「福」が付く寺院は江の浦地区の地福寺、青木地区の長福寺、茂浦地区の正福寺が法燈を今日まで継承されている。
さて、ところが万治3年(1660)に火災に見舞われ、堂宇はことごとく灰燼に帰したという。この火災で寺は一時廃絶同然であったが、寛文3年(1663)に比叡山北谷総持坊の老僧・光慶法印が、讃岐丸亀の妙法寺に滞在していた折、この被災を伝聞して広島へ渡り、見事に寺を再興したという。この中興開山の光慶法印との御縁により、比叡山総持坊末となり、「玉瀧寺」と寺名を改めた。また、江戸時代の玉瀧寺は地元の市井浦にある賀茂神社の別当寺(神社とともに設置された寺院)であった。
一方、平安時代に弘法大師空海が讃岐広島の青木地区にある心経山で修行したと伝えられている。この心経山や讃岐広島の最高峰の王頭山(標高312m)から北に位置するのが市井地区で、玉瀧寺に毘沙門天が祀られているのは、島の北方守護という意味合いもあったのではないだろうか。
明治初期に玉瀧寺で寺子屋が開かれていたが、明治19年に小学校令が公布されると、明治20年に玉瀧寺を仮校舎と定めて市建小学校が設立された。これが後の市井尋常小学校や広島中尋常小学校や広島西小学校の前身であった(注:広島西小学校は平成8年3月末で統廃校)。
明治42年6月、和田戒心住職の時に比叡山延暦寺直末となり、瀬戸内海の塩飽諸島唯一の天台宗寺院として今日に至る。昭和58年、遠藤教有住職の時に地元檀信徒や有縁者の協力を得て、本堂が改築、落慶された。現在は中興第19世大岡真祥が住職をつとめている。
讃岐広島では、毎年旧暦の3月21日にお大師まいりのお接待行事が島内各所で開催され、にぎやかな一日となるが、玉瀧寺は讃岐広島ミニ八十八か所の「第62番札所」になっている。
参考/『仲多度郡史』(大正7年発刊)、『心経−広島西小学校創立百周年記念誌』(昭和62年発刊)

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天台宗 玉瀧寺 〒763-0106 香川県丸亀市広島町市井739番地
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